薬子の変について語ろう  2 ちゃんねる まとめ

  • 2023年3月5日
  • 2023年3月6日
  • 日本史
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1: オプリチニキ
藤原薬子(ふじわらのくすこ、生年不詳 – 大同5年9月12日
(810年10月17日))は平安時代初期の女官。式家の藤原種継の子。

中納言藤原縄主の妻で三男二女の母。
長女が桓武天皇の皇太子安殿親王の宮女となり、
東宮宣旨(高級女官)として仕えるように …そして伝説へ…

引用元: ・薬子の変について語ろう

2: オプリチニキ
薬子の変の歴史的意義

式家藤原氏が没落し、南家藤原氏が興隆する契機となった事件。

10: オプリチニキ
平城京自体が流刑先のようなものでしょうね。
これで小説を書くなら、『私の命で愛する上皇をお守りします』
みたいな感じ。
確かに薬子というか、藤原式家に乱をおこす動機がないんだよね。
失敗すれば(実際そうなった)、自分たちだけでなく家も没落するから。
冬嗣の家系(北家)に反映が移って行った。

>>2は南家でなく北家の誤りでしょうね。

5: オプリチニキ
クスコの変
6: オプリチニキ
娘の夫を寝取る姑。よっぽど妖艶で魅力的な女だったのかも。

後代の後宮にもいましたね。花山法皇の子を交互に産んだ親娘。

7: オプリチニキ
平城天皇はどうも神経質な人だったらしい。突然退位して上皇になるのも
皇位というものの性格を考えると、思慮分別のある人とはとても思えない。
この時代の上皇に後年のような権力があるわけではないから。

感情に任せて、おそらく弟の嵯峨といさかいがあった程度なのだろうけど
退位した後、復位を目論んで奈良に遷都するなど忙しい人だ。当時重そ(字が出ない)
は孝謙女帝の例があるから、突拍子もない話では無かったし。
もしかしたら、『また戻ればいいや』程度で退位したのかも。

さて、いまの歴史家は薬子の変と名付けているが、おそらく戦前の皇国史観の影響じゃない?
天皇が過つはずは無い。女狐の仕業だと言う論理。

本当は薬子の胸で寝ている時が一番落ち着く程度の、年上の優しい女性だったと私は思う。
兄仲成が教唆していたと思います?

9: オプリチニキ
内舎人山辺のハルヒ
11: オプリチニキ
奈良の都がいつまで人が住める状態で残っていたのか気になる。
当時の日本に陪都制(副都制)という考え方は無いはずだし。