https://business.nikkei.com/atcl/plus/00031/031800006/
「幕末に大活躍した」というイメージが世間に広まっている坂本龍馬。司馬遼太郎(しばりょうたろう/遼は、正しくはしんにょうの上部分が「 ゛」。以下同)の『竜馬がゆく』などの小説を読んで、「薩長同盟を締結できたのは龍馬がいたからだ」「大政奉還の立役者だった」と思い込んでいる方も多いかもしれません。
しかし歴史学の観点に立つと、実態はぜんぜん違います。上記のような彼の業績とされるものは、あれもウソだ、これもウソだといった感じで、「ほとんど真実がない」と言っても言い過ぎではないでしょう。
実際には、坂本龍馬は日本史にほとんど影響を与えなかった人物でした。もちろん司馬さんも、小説の主人公と歴史上の人物を区別して考えていました。
龍馬ファンに人気がある高知県の坂本龍馬記念館においても、司馬さんは歴史上の人物の「龍馬」と小説の「竜馬」を区別していた、と書かれています。それでも同記念館の展示は、基本的に司馬遼太郎の龍馬観=“司馬史観”に寄っている印象があります。すなわち、多くの日本人がイメージする「龍馬」は「小説の世界の竜馬」と言えます。
問題は、司馬遼太郎の作品の面白さに引っ張られてしまい、小説の内容が“史実”だと思っている人が多いことです。多くの人は小説に合わない歴史的な事実を受け入れず、跳ね返してしまいます。
引用元: ・坂本龍馬の伝説はウソだらけ
三国志演義とか西遊記に史実と違うとか文句付けてるみたいなものだ
>もちろん司馬さんも、小説の主人公と歴史上の人物を区別して考えていました。
>問題は、司馬遼太郎の作品の面白さに引っ張られてしまい、小説の内容が“史実”だと思っている人が多いことです。
だから司馬叩きの記事ではなく、叩かれてるのはスレ主のように歴史の話題で小説を持ち出し続ける人だね
自分たちが批判されてると思いたくないから、叩かれてるのは司馬だと言うことにしたがる
しかし汗血千里駒が云々と言いつつ、それに出て来ない大正以降の創作の船中八策を史実と言い張るなど矛盾しまくり
普段から海援隊士からなにかと金をせびられ辟易してたそうだが渡しに行ったらご機嫌で色々話をしたそうな
ちょうどいろは丸の件の時に龍馬に自分の思いを伝えたら納得してもらって感激w
龍馬が後藤らと旅立つ際には男泣きという(狼狽知るべし。(略)余 、覚えず流涕数行」(『瓊浦日記』)
坂本龍馬、吉田東洋、武市半平太、・・・
後は当然海援隊か?
慎太郎「俺は何時も龍馬の後塵ばかりかよ」
明治政府が土佐藩で功績大と認めたベスト3
まあ維新だけじゃなくて新政府樹立後の功績もあるけど
佐々木高之という人を調べてみよう
他に谷干城
これはどっかで聞いたこと有るな
後に彼は龍馬とは色々あったなぁ~と邂逅
関羽とか張飛とか趙運とか呂布とか董卓なんて政治的にはいないも同然だし
教科書には載りようがないな
蘇秦は教科書に載ってるかな
坂本が生きてれば勤王の大物として評価されたろう
坂本、武市、中岡、吉村は贈正四位貰った連中は土佐四天王とされている
後藤 2位
西村兼文が編輯し、明治9年(1876年)1月に出版された志士番付『近世報国赤心士鑑』では、龍馬は東西七段の表で
二段目の三番目の位置である。この番付の最上段は藩主や公家・家老クラスで、家士クラスは二段目から。東の一番
は長州・来島又兵衛、二番目も長州の久坂玄瑞、高杉晋作は龍馬の次の東の四番目である。しかも龍馬は土佐では
最上位にランクされているので、十分大物の扱いであろう。学校教科書にも掲載され、歴史教育でも扱われるようになる。
明治24年(1891年)には正四位が追贈された。
子母澤寛 新選組始末記
書名は固有名詞だ。
字遣いは正確に、な。
政府という表現は紛らわしい
幕府な
新政府かと思ったぜ