1: 歴史ニキ
明治大正昭和と、お見合い結婚花盛りだったけど
引用元: ・明治維新以前の日本は独身結構多かった?
2: 歴史ニキ
次男三男が結婚するのは難しかった
4: 歴史ニキ
誰にも供養されない、いわゆる無縁仏を弔う寺が京都には昔から結構あつたというが
それだけ孤独死が多かったのか
それだけ孤独死が多かったのか
5: 歴史ニキ
京都の三条大橋にはいまでいうところの日雇い村みたいな場所があって
昔でいうところの欠落(かけおち)者の非人部落なわけだが、寺社が資金や
保護を与えて飛脚や荷車引きなどをさせていたという話しだ。そういった連中は
やがて体が動かなくなれば賄われ者となって社寺の保護の下で死んでいく。
そういう連中の供養墓ということなのだろう。
昔でいうところの欠落(かけおち)者の非人部落なわけだが、寺社が資金や
保護を与えて飛脚や荷車引きなどをさせていたという話しだ。そういった連中は
やがて体が動かなくなれば賄われ者となって社寺の保護の下で死んでいく。
そういう連中の供養墓ということなのだろう。
6: 歴史ニキ
近代以前は財力のない家は無嗣絶家が多かった
財力がないと、結婚して子供を残すことは難しかった
一方、財力があると、複数の夫人を置いて、多くの子供を残すことができた
そして、嫡子が本家を継ぎ、他の子供たちは分家した
財力のある男性が多く子供を残すことで、人口は維持されていた
財力がないと、結婚して子供を残すことは難しかった
一方、財力があると、複数の夫人を置いて、多くの子供を残すことができた
そして、嫡子が本家を継ぎ、他の子供たちは分家した
財力のある男性が多く子供を残すことで、人口は維持されていた
8: 歴史ニキ
ちょうどタイムリーな記事がある
歴史人口学から見た江戸時代農村の結婚について
https://call-of-history.com/archives/4663
歴史人口学から見た江戸時代農村の結婚について
https://call-of-history.com/archives/4663
次男三男は結婚しないというのは商人や武士
とくに旗本層などの富裕層に見られた現象で百姓は基本的にはほぼ皆婚
そもそも近代以前の百姓に子どもに遺す財産など無いので結婚制限をする必要性がない
また明治までの離婚率は現在よりも高く離婚再婚が当然だとされていたことにも注意する必要がある
10: 歴史ニキ
あーなるほど。読んで分かったわ。要は「結婚」という形であちこちに出入りし
必要な限りにおいては子どももつくるけれども、トータルとしての「家」の数
じたいが増えていくというわけでは無いということか。なるほど複雑なものだな。
必要な限りにおいては子どももつくるけれども、トータルとしての「家」の数
じたいが増えていくというわけでは無いということか。なるほど複雑なものだな。
14: 歴史ニキ
独身というより子供なしが多かった
20: 歴史ニキ
江戸時代でも時期によるのではないか?
人口が倍増した17世紀においては、結婚率も出生率も高かっただろう。
それを支える農業生産力が増加した時期だった。
だが、江戸も後期になると、人口は停滞しており、結婚率は低下していたのではないか?
人口が倍増した17世紀においては、結婚率も出生率も高かっただろう。
それを支える農業生産力が増加した時期だった。
だが、江戸も後期になると、人口は停滞しており、結婚率は低下していたのではないか?
25: 歴史ニキ
>>20
江戸時代に人口が停滞・減少した時期の最大の原因は飢饉であって
飢饉がなければ人口は増える
結婚率、出生率にほとんど変化はない
江戸時代末期は血気盛んな若者が武士に憧れ戦に出て大勢死んだだけ
江戸時代に人口が停滞・減少した時期の最大の原因は飢饉であって
飢饉がなければ人口は増える
結婚率、出生率にほとんど変化はない
江戸時代末期は血気盛んな若者が武士に憧れ戦に出て大勢死んだだけ
27: 歴史ニキ
いや、近年の研究では江戸後期の農民は産児制限をすることで生活水準を守ろうと
していたことが知られている
していたことが知られている
30: 歴史ニキ
>>27
飢饉が多発してたからそんなに多くの子供たち食わしてやれなかったんだろう
それは仕方ない
飢饉が多発してたからそんなに多くの子供たち食わしてやれなかったんだろう
それは仕方ない
29: 歴史ニキ
江戸時代は人口が頭打ちになってるし
間引きもあったんだろう
間引きもあったんだろう