世界史の軍事的天才を集めてみないか? part4 

  • 2023年3月4日
  • 2023年3月6日
  • 世界史
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引用元: ・世界史の軍事的天才を集めてみないか?

268: オプリチニキ
項羽って本当に28人で漢軍突撃して2人しか死ななかったの?
27人が強かった?
270: オプリチニキ
>>268
実を言うとそこまであり得ない話でもない。
司馬遼太郎曰く、少数精鋭の重装騎兵の機動と突撃はその数倍から数十倍近い歩兵を蹂躙出来る。
あくまで広い戦場においてはの話で、狭い戦場だとカンナエのカルタゴ騎兵みたいに歩兵になった時のが強いこともあるけどね。
それでも職業軍人だけで構成された超精鋭部隊ってのは基本野戦部隊じゃ止められないってのが鉄則。中国だと呂布、日本なら義平や義経、遊牧民族なら木汗可汗や若かりし日のティムールとかが勝ってるのもかなりそれに近い。
またその騎兵戦術の有用性を少数による奇襲に落ち着かせず、大軍の戦術の一部に組み込んだのがフィリッポス。
275: オプリチニキ
范増は項羽に愛想尽かして去って帰郷する途中に病死
吹出物が原因とかそんなイメージ
281: オプリチニキ
戦争に制限はないで
そのとき持っているもんはなんでも武器や
282: オプリチニキ
織田信長の鉄砲とかナポレオンの大砲とか、新しい武器に合わせて戦術を変えて軍事的成果を上げた人は凄いと思うわ
って従来の武器を使いながら新戦術を編み出して勝った人も当然に凄いけど
284: オプリチニキ
>>282 大村益次郎と山縣有朋は?
戦闘員は徴兵制によるものとし
武士の戦いに終止符をうった
軍事的天才と言えるのでは?
294: オプリチニキ
>>282
鉄砲を活用した名将四天王

コルドバ
セリム1世
バーブル
織田信長

なお、ヤン・ジシュカは殿堂入り

283: オプリチニキ
ナポレオン 「ピレネーの向こうはヨーロッパではない」

ルイ16世 「ヨーロッパと呼んでいいのはピレネー山脈まで」

289: オプリチニキ
しかし日本人に世界的な軍事的天才がいるのか?
元寇の時さ、鎌倉武士は20人ぐらいで平気で数千のモンゴル軍相手に斬りかかるし
牟田口は、過去の責任の巻き返しとして自ら剣を抜いて先陣を切って突撃し負傷するという、失敗を死んで責任を取ろうとする考えが外国だと理解できなかったらしいぞ
290: オプリチニキ
日本が世界に誇る軍事的天才といえば代表的なところは既に名前の上がった東郷平八郎か
291: オプリチニキ
あと世界的かどうか知らんけど海外で活躍したのは山田長政inシャム国とか?
292: オプリチニキ
陸なら立見尚文
戊辰戦争から西南戦争、日清戦争、日露戦争で指揮。
いずれの戦闘でも立見指揮下ではほぼ負けてない。
295: オプリチニキ
ヤン・ジシュカは隻眼だったな
そういえば隻眼の人はなぜ軍事才能があるんだろうか?
ハンニバル、夏侯惇、伊達政宗、山本勘助、ネルソン、バイバルスとかあげたら意外とキリがいない希ガス
目は見えずとも心の目は開いているのかな?
297: オプリチニキ
>>295
キャプテン・ハーロックを追加で
296: オプリチニキ
隻眼の名将といえばセルトリウス
スッラやポンペイウスも手こずった
298: オプリチニキ
まぁ、オーディンの化身なんだろ
299: オプリチニキ
元繁って尼子経久に騙されたんだな
項羽の生まれ変わりがここままでいいのかとか、自分の姪を嫁にさせたんだっけ?
項羽も子供的な性格で、咸陽に留まるわ夜中に着物を着て歩くが如しで彭城に帰った。
こんな子供じみた性格じゃ経久に煽られて利用されるわ
経久の前じゃどっちもどっちだな
300: オプリチニキ
しかし四面楚歌って言うけど超良すげえな
故郷への寂しさを思わせる
こんな心理作戦をやった過去に他に例ってあるんですか?
301: オプリチニキ
世界史の軍事的天才的な作戦か
302: オプリチニキ
籠城した敵をいかに効率的に攻略するか、知恵の出しどころ腕の見せどころだよね。
個人的には兵糧攻めは芸がないと思う。オレでも思いつきそうだし、籠城側は悲惨なことになるしで。

その点、小田原城に対する秀吉の墨俣一夜城はスゴいと思う。
短期間で城を作って籠城側の戦意を失くさせるという発想もだし、実際に作るアイデアが大したもん。
…「信長の野望」の小田原城の難攻不落っぷりを思い出すに、アレを味方の被害少なく落とせる方法を編み出した奴は武功一等じゃw

306: オプリチニキ
>>302
墨俣一夜城はなかった説があるらしいぞ
309: オプリチニキ
>>302
小田原城に対しての一夜城は墨俣じゃなくて石垣山一夜城やで。
あと個人的に相手の戦意無くさせる系は正面から戦ってる感じしなくて好きじゃない、ハンニバルみたく逆に相手の戦意を煽りまくって最高潮にさせた時を狙って戦術に嵌めるのが格好良くてロマンを感じる。
303: オプリチニキ
楚の歌を歌って「俺の子供大きくなったかな、だいぶ大きくなっただろうなあ」ってホームシックを呼び起こす これをローマ軍対策にどうだろうか?
ローマ軍は遠征多かったから、
ローマの故郷の歌歌ってたらローマ軍の戦意喪失するのかな?
ブリタニア遠征とか効きそうだな
304: オプリチニキ
ローマ軍団は出身地バラバラで故郷もそれぞれだったりしないかね
属州ガリアとヒスパニアと北アフリカとイタリア本国出身者混成みたいな
それだとお互いに言葉が通じないかな
305: オプリチニキ
軍事的天才は、人の心理をよく読めるんだろな
背水の必死さを利用したりさ
307: オプリチニキ
墨俣一夜城の作り話を創作した奴が天才的だったということか⁈
310: オプリチニキ
百戦百勝は善の善なる者に非ず。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。

相手の戦意を挫くて、こういうことやないの?

311: オプリチニキ
>>310
善って誰が決めるんや、結局儒家のイデオロギーやろ。
そういう思想を万民の深層意識に組み込むことで天下泰平を保ち、人民や農家に慢性的なダメージを負わせない事で中華全体の経済的発展を見込んだのは理解できる。
だがその結果が異常なほどの軍事的脆弱性だ。冒頓単于に土下座させられ、遼に土下座させられ、金に土下座させられ、モンゴルに土下座させられ、ヌルハチに土下座させられる。
争いから身を引いて経済的な発展を期待した中華人民の生活の多くは、そういった軍事的優位性を持った国々の体の良い奴隷として働かせられた歴史である。
大半の漢民族にとって天下は狭い、華か夷かどちらかしかない。そんな世界観だから天下統一した後は平和にやってれば中華が勝手に偉大になって蛮人である他民族は頭を垂れて蹲うと思ってる。
世界統一なんてとんでもない事業が達成されれば再現性のある論理ではあるが、実際はそうでもない。
結局その平和ボケした儒家達の敗北主義のつけを払ったのは、衛青霍去病や朱元璋といった最高に強くてかっこいい軍事的天才に他ならない。
312: オプリチニキ
>>311
孫子がなんで儒家やねんアホか
313: オプリチニキ
>>312
すまん言葉足らずだったわ、孫子って実際のところ孫武どころか兵法家が書いたのかさえ怪しい代物なんや。
司馬遷曰く、孫子は「世々伝えられた」兵法の著書とされる。だから恐らくは春秋戦国時代に兵法家や将軍達が次々と残していった戦術やマニューバの集大成って言い方が正しい。
しかし一方で南宋や北宋の学者が言ってるように春秋戦国にしてはあり得ない思想や具体的事例が見られる。
孫子は最終的に漢書「芸文志」に記載されて、最後に曹操がまとめて今の形になってる。
だから現在の見解としては、戦術そのものの体系はたしかに春秋戦国のそれだが、根本にある非好戦的な思想は漢の時代に発展した儒家によって新たに付け加えられたものだってのが一般的ぞ。
314: オプリチニキ
そもそも仁とか義って概念が体系的に説明されたの自体が儒家が出てきてからだし、それまでに善とかいう概念が一義的に存在したと考えるのは適切ではない。私はその話をしてる。
315: オプリチニキ
善っちゅう概念が体系化される以前であっても
人間社会に喜怒哀楽あらば、天然自然に人命尊重や平和希求は社会通念として存在したのではあるまいか
恒久平和など望むべくもなきが世の常なれど、
パクスロマーナなり江戸時代の天下泰平なり戦乱なき時世こそ真に尊ばれるべきものにて
大声で語られる乱世の英雄譚や戦場の数多の血湧き肉踊る武勇伝と
は、古代の闘技場で催される剣闘士達の血闘死闘に寄せられる喝采と嬌声の大音声にも似て
古今東西を通じて繰り返されし人の業なれど
誠に度し難き仕儀かな
せめて巨象が黙然として猛獣を制するが如き戦わずして矛を収めさせるの理と利を尊ばんとす
316: オプリチニキ
義経だな
どこで習ったか知らないけど軍事的天才を見せている
317: オプリチニキ
その論理のために水爆はつくられた訳だから、エドワード・テラーはノーベル平和賞ものの偉人ってことだな。
319: オプリチニキ
下関に行って壇ノ浦を山の上から見下ろすと、潮の流れの勢いの強さがよく解る。左右から進む船のスピードが驚くくらい違うのだね。
義経が潮の流れを読んで操船に生かせたならば、戦における有利不利はそれだけで戦局を決めてしまうのではなかろうか。
323: オプリチニキ
何気に日本は元寇も退けてるね