ケプラーの法則を知っていた
60進法を考案した
宦官がいた
「黒い油のパン」
「白い油のパン」といった様々な種類のパンを食料にしていた
大学みたいなものがあって論文とかも書いていた
などなど
高度な文明を築いていたシュメールについて
逆
日本から渡った集団やで
ちゃんと東から神々がやってきたって書いてるでしょ
正確にはスメル人な
日本人が元ってバレない様にシュメールって発音に捏造してるんやで
オマンをオマーンって発音しているのと同じ(笑)
彼らが一気に忽然と消えた訳でも、
全くセム系民族と言葉が通じなかった訳でもなさげ
とにかくシュメールであまりにも完成している
から後の歴史は蛮族侵入で現代まで同じ事を
延々と繰り返してるだけに見える
併用期の頃にはもうシュメール人はいなくなっていたらしい
つまりアッカド人がシュメール語とアッカド語を使い分けていた
アッカド語はシュメール語をお手本として文法が変わったくらい
セム語は基本語順がVSOなのに、アッカド語はシュメール語のようなSOVに変化した
その伝統は後裔のバビロニア語、アッシリア語に続いた
スウェーデン人がなぜかアッカド語で歌ってる歌w
歌詞
https://genius.com/Therion-the-siren-of-the-woods-lyrics
よく知らない言語だけどセム語っぽくない感じもあるのかな?
シュメール語からの借用語も多いのかな
発明で着ていたらアムル人に負けなかったのに
教育と人材育成が大事だと
気づいて
そこに力を入れたのがいるんだろうな
頭脳ある人間をそろえることができたのは確かだろう
業務効率化のために紙と火薬の知識を与えると思うけどな
シュメールに近づいた時点でシュメール人が「蛮族のxxが来た」とか記録してくれるので、
前フリありの状態で歴史に出てこられる。そゆこと。
だからシュメール人は、地球上に忽然と現われたわけじゃなくて、
それ以前から存在してたけど「俺らシュメール人やねん」とアイデンティティを確立して、
自分たちで記録を残し始めた時点で我々から見えるようになったっちゅーだけのことなんですわ。
これも何でかめっちゃ誤解されてる話。
シュメールの文明はめちゃくちゃ優れた状態で最初から出現した謎の文明だ、みたいな感じで言われてるんだけど、前段あります。シュメールの前にウバイド文化があって、彩文土器とか文字の元になる概念とか都市文化のはしりとかを作ってる。数千年の準備期間がある。
メソポタミアでの最古の印章の出土は紀元前7000年くらい。
のちにシュメール人の活躍する地域でウバイド文化が始まるのが紀元前5000年くらいだが、
それ以前からちょくちょく人が来ては適当に住んでいたらしい。
民族というのは歴史に登場してそう名乗った時に始まるもので、
それ以前は部族とか家族の単位で小規模な人間集団が存在していたということだ。
「ウバイド期」のつぎに始まるのが紀元前4000年頃から「ウルク期」で、ここからいわゆるシュメール人の文化になる。
http://55096962.at.webry.info/201604/article_16.html
いきなり登場したことは事実だろう
甲骨文字でも似たようなことがあるが、
その前の半坡文字というのは断片的な「符号」でしかない
どこからか来て元の文明の痕跡が発見されていないだけだよ
シュメールってサマーと綴りが似ているから夏王朝だったりしてね
意味不明な上に突飛すぎ
文字体系の発達に大きなミッシングリンクがあることは事実であり、
ありもしない過渡的文明を想定するより、謎を謎と言ったほうがまだ科学的だ
そうまでしてシュメールを過小評価する意図も恣意的にすぎる
夏を英語でsummerと言い
シュメールはアッカド語の音でsumer
偶然のように思えるけど
人間の言語は実は同一だという説もあり
何らかの関連性を感じさせる
もちろん学会で主張したら追放される瓦割れるかだろうけど
英語のsummerとアッカド語のsumerの語源は同じだったのかもしれない
王様
さま~
じゃん
シュメール語、アッカド語の語彙集をいくつもネットで調べたが
「夏」summerに当たるシュメール語やアッカド語の単語は出てこなかった
近縁の言語を参考に調べたが、シュメール語は孤立言語であり
アッカド語はセム語族でアラビア語やヘブライ語の仲間
「夏」はアラビア語ならsayfサイフ、ヘブライ語ならkayitzカイツ
シュメールもsummerもこれらのどちらにも似ていない
メソポタミアは英語やドイツ語が含まれるゲルマン語の領域とは何万キロも離れている
英語が世の中に現れるのは古英語でも6世紀頃で今から1500年前
シュメール人がシュメール語を使っていたのは4600年前から4000年前
ちなみに世界中には現在全く互いに意思疎通できない言語が5000~7000ぐらいあると言われるが
これでも過去の数百年に半数以上が死滅した結果であり、その前は万単位で言語が存在したと見られる
英語もシュメール語もそれらの一つに過ぎない
シュメールの名の由来が英語のsummerである可能性も、
英語を含むゲルマン語が何千年も前のシュメールの名の由来に関係していた可能性も限りなくゼロに近い
シュメールで王はル・ガル、人・大きい、字では王冠をかぶるけど
読みはル・ガルなのに書くと逆になるらしい
人類の言語は一つ説だと多くの言葉が似通っているとか
ただし日本語は違っているらしいけど
そのことからイラク辺りとヨーロッパは近いとも言えるし
夏に当たる言葉、太陽とか大国の意味なのか知らないけどで呼んだのかもしれない
これでも過去の数百年に半数以上が死滅した結果であり、
その前は万単位で言語が存在したと見られる
英語もシュメール語もそれらの一つに過ぎない
シュメールを解くのに英語を使う必然性はどこにあるの?
英語のsummerがシュメールと関係あると見る理由はどこにあるの?
あるいは日本のスメラギとの関係は?
英語は広大な印欧語系の言葉の一つ
シュメール語は孤立した死語
エブラ語、アッカド語はヘブライ語などと近縁の言語
全く違う
だから文字とかいきなり現れたように見える
おそらく元はトルコのギョベクリテペに住んでいた民族なんだろう
話が逆立ちしている
シュメール人が現れた頃は、西アジアにも他の地域と同様に系統の異なる言語を話す多数の民族が存在していた可能性がある
広大な西ユーラシアに印欧語とセム語とチュルク語以外があらかたいなくなったのはここ3000年のことで、
むしろ異常(ウラル語族とバスク語とコーカサス諸語はかろうじて残存)
シュメール語もエラム語も、ミノア文明のクレタ語も、アナトリアのハッティ語も、最初に文字を持った言語として現れ、
やがてセム人や印欧語民族に文字と宗教と文明を乗っ取られたが、みんな「系統不明」だ
古代エジプト語~コプト語もハム語派ということになっていたが、現在の説では否定されていて、
セム語とはもちろんクシ語やベルベル語などとも同系ではなく、類型論的な少々の類似があるに過ぎない
文字体系が「いきなり現れる」現象は近年でもカメルーンのバムン文字の例がある
いったんセンテンスを余さず書こうと志すと、
少数の天才が一気に作るという形態のほうが完成しやすいのだ
チェロキー文字でも、セコイヤは村外れの小屋にこもって一人で完成させた
甲骨文字の成立の際にも、伝説の蒼頡のような人物は案外いたのではないかと思う
トルコ人だったら嫌だと思ったけど
場所的にイラク人でも嫌だな
彼らの末裔のイスラエルの民もバビロニアと同じくシュメール文明の後継者と言えるかもね。
やっぱおかしいわ
別の言語の話をしてるとしか思えん
何より省略が多すぎて言ってることが不明瞭
何にせよエラム人はイスラエルの民・ユダヤ人とは関係ないよ
ましてやユダヤ人がシュメールの後継者とか意味不明すぎ
旧約聖書がパクったのはシュメールだけじゃなくてバビロニアやエジプトなど色々だ
印欧語でもセム語でもなく、シュメール語ともドラヴィダ語とも似ていない
イスラエルの民なんか全く関係ないよ
ベルギーの北部もフラマン語も地域ごとに違うらしいし
なにか別のものと間違えてないか?
年代的にも長きに亘るのに文献量の多さからか、
新バビロニア時代にはアッカド語に替わる「学者の言語」として重宝されていた
粘土板が時代遅れだった時代に、最も権威ある図書館は楔形文字エラム語ばかりだった
どんな連中かだいたいわかるのジャマイカ
>The population was Semitic with an Amorite presence; they used the Sumerian cuneiform,[23] and spoke a language that was either an Akkadian dialect, close to it or greatly influenced by it.
ディルムンはセム系か
アラビア半島および沖合の島々は古くからアフロアジア系、それもセム系の縄張りだったか
良い健康状態で育ってたのと
蛇が一緒に見つかることから
エデンの園とする説はあった気がするけど
なんまり覚えてないな
一方が他方の子孫とか先祖とかいう関係ではない
アラム王国という国もなかったし、
有史以来知られていて、新たに発掘で見つかったような言語・民族でもない
アッカド語とも聞いたけど
アッシリアと名のつく国や民族はいろんな時代に現れるが、
前千年紀中頃まではアッカド語(セム語族)北部方言を使っていた
アッカド語南部方言を使う新バビロニアに取り込まれてほどなくして
新バビロニア自体がアラム語(セム語族)を実用の道具として重宝し、
アッカド語を碑文だけの死語に追いやった
アケメネス朝ペルシアは多言語の国で、
碑文には楔形文字アッカド語(バビロニア語)を使い、
実務には少ない表音文字だけのアラム語を羊皮紙やパピルスに書き、
学者は楔形文字のエラム語(系統不明)の粘土板の書物を扱った。
支配層の母語であるペルシャ語(印欧語族イラン語派西イラン語)は読み書きされることがなく、
後になって作られた楔形音節文字で碑文に書かれたが、この文字はほとんど使われず、
ペルシャ人はアラム語で読み書きした
国教のゾロアスター教の経典アヴェスターは東イラン語派の古い言語の口伝で、ササン朝まで文字化されなかった